思い込みを捨てる
昨日東京では桜の開花宣言が発表されたが、私が住んでいる東京郊外では、開花はもう少し先のよう。いつものジョギングコースの桜並木は、まだ小さな蕾しか見られない。

思い起こせば、かれこれ15年くらい夕方のジョギングを続けている。
週に2〜3日程度、ほんの2キロくらいをだらだら走っているだけ。威張れるものではないが、このゆるさが持続の秘訣だろう。

走ると、気分が軽くなる。「ことば」が浮かんでくることもある。
今日は昼間の会合を思い出しながら「何だかな〜」ともやもやしながら走っていたせいか、「思い込みを捨てる」ということばが「降りてきた」。
これまでも思い込みによる失敗をするたび、何度も自分に言いきかせてきたことだけど、今日の「思い込みを捨てる」ということばの意味するところは、今までとはちょっと違った。
すでに知っている「思い込み」ではなく、妄想の「思い込み」を指しているという意味で。
「これをすることで自分のためにも誰かのためにもなるとは思い込まないこと」。100%自分のためか、100%誰かのためならオッケー。
何かすとんと腑に落ちた。


《追記》
「思い込み」が出るのは対象をきちんと観ていないから、とは息子2の意見。
【2017/03/22 】 生活するもの | comments(0) | page top↑
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