草間彌生 わが永遠の魂
「かぼちゃ」も「水玉」も好きではなかったけれど、久しぶりに会ったデザイナーの友人が「すごくよかった。元気をもらえた!」と絶賛していたので、国立新美術館で開催中の草間彌生展へ行くことにした。
連休の先週末はチケット売り場が3時間待ちだったとか。ある程度の混雑は覚悟していたが、平日の午後だったせいか、運良く10分ほどでチケットを買うことができた。

わが永遠の魂
入場してすぐのホールの壁面三方を埋め尽くす絵画連作「わが永遠の魂」に、いきなり圧倒された。何かに挑むような強烈なタッチで描かれたS20号(194×194cm)のアクリル画の数々。草間彌生が2009年から取り組んでいる大作で、500点を超える連作から132点が選ばれた。
抽象的な表現に具象的なモチーフが混在し、どの作品にも生命力があふれている。とくに目を記号化したようなモチーフで埋め尽くされた作品は、幼いときから幻聴や幻覚に悩まされ続けた作家が抱える強迫観念を想像させた。

草間彌生は3日前に88歳を迎えていた。長年、都内の精神科の病院を住まいにして、向かいのアトリエで終日絵を描く生活をしているというウワサだ。

この創作エネルギーはどこから湧いてくるのだろう。
「一般的な」感覚とは異なる感性を有していために、生きづらい思いや辛い体験をしたことが作品から察せられる。絵を描くことは、彼女にとって「闘い」であり「救い」だった。創作によって彼女は生かされ、世界が認める「巨匠」になった。


「死にものぐるい」で創作活動を続ける彼女の生きざまは、好きとか嫌いとか嗜好の範疇を超えて、観るものに希望とパワーを与える。
ゲイジュツの凄さを見せつけられた。
【2017/03/24 】 鑑賞するもの | comments(0) | page top↑
思い込みを捨てる
昨日東京では桜の開花宣言が発表されたが、私が住んでいる東京郊外では、開花はもう少し先のよう。いつものジョギングコースの桜並木は、まだ小さな蕾しか見られない。

思い起こせば、かれこれ15年くらい夕方のジョギングを続けている。
週に2〜3日程度、ほんの2キロくらいをだらだら走っているだけ。威張れるものではないが、このゆるさが持続の秘訣だろう。

走ると、気分が軽くなる。「ことば」が浮かんでくることもある。
今日は昼間の会合を思い出しながら「何だかな〜」ともやもやしながら走っていたせいか、「思い込みを捨てる」ということばが「降りてきた」。
これまでも思い込みによる失敗をするたび、何度も自分に言いきかせてきたことだけど、今日の「思い込みを捨てる」ということばの意味するところは、今までとはちょっと違った。
すでに知っている「思い込み」ではなく、妄想の「思い込み」を指しているという意味で。
「これをすることで自分のためにも誰かのためにもなるとは思い込まないこと」。100%自分のためか、100%誰かのためならオッケー。
何かすとんと腑に落ちた。


《追記》
「思い込み」が出るのは対象をきちんと観ていないから、とは息子2の意見。
【2017/03/22 】 生活するもの | comments(0) | page top↑
「分人」という考え方と『決壊』という小説
平野啓一郎の小説『決壊』を読もうと思ったきっかけは、同氏の『私とは何か 「個人」から「分人」へ 』(講談社現代新書)が面白かったから。
個人を英語で表すとindividual=分けることができないが、分人はdividual=分けることができる、という考え。人間はたったひとつの「本当の自分」からなっているのではなく、接する相手によって変化する「分人」をいくつも有している、という概念だ。
「分人主義」を当てはめるなら、「あのときのわたしは自分じゃないみたいだった」と悩む必要はない。どれもが自分で、どれもが本当なのだから。「人間の個性はその人の中にある分人の構成要素で決まる」。だからより幸せな自分になるためには、「好きな分人」の構成比率を大きくするといい、と平野氏は説く。
なるほど、と思った。救われる人も多いだろう。自分の「分人」を上手く使い分けることができれば、人と接することが楽になるし、自分を肯定しやすくなるから。

決壊

前置きが長くなってしまったが、平野氏が「本当の自分」という考えを捨てるにいたった小説が『決壊』(新潮社)だという。「分人主義」が生まれるきっかけになったその小説を読んでみたいと思い、図書館で借りてきた。
背幅3センチほどの上下巻を手にしたとき、こんなに長い小説、読破できるだろうか、と一抹の不安が過ぎったけれど、ストーリー展開に引き込まれて一気に読み終えた。

ある殺人事件が軸になっている。穏やかで幸せな暮らしが殺人事件によって一変。事件をきっかけに、被害者と加害者、その家族の精神や関係性が歪み、「不幸」のスパイラルに巻き込まれるその過程で、それぞれの「分人」が顔を出す。
殺害された被害者の兄(東大卒のエリートで)は、家族や友人、恋人、刑事(容疑者として拘留された)とのやり取りのなかで、相手から「本当の自分」を突きつけられるが、状況に合わせて上手く「分人」を使い分けていた。が、ついに「分人」をコントロールできなくなり(多分)、「決壊」してしまう。なんともやりきれないストーリー。

犯行場面では、人間の「心の奥に眠っている悪魔」がえぐり出される。「悪魔」を引き出すのは「遺伝と環境」であり、社会もしくは人間からの「離脱」が凶悪犯罪の連鎖を生むという設定は、社会に蔓延する「勝・敗」「優・劣」「強・弱」といった分断思想に照らすと、現実味のある恐怖となって、認めたくないけど理解できる。

分厚い本を閉じたあと、どこに足を置いていいのかわからない不安定さが続き、そういう意味で心を揺さぶられた小説だった。


【2017/03/21 】 読んでみたもの | comments(0) | page top↑
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