秋のイベント
図書館展示にはじまった今年は、ほんとにイベントの多い年となった。
海外に3回も行った。旅行ガイドブックをつくっていた20代のころ以来だ。
台湾でワークショップをしたり、香港のマーケットに出店したり・・・かつてないほど「動」の年だった。最初の一歩を踏み出したのは自分だけど、そのあとはどんどん流れができて、それに乗っかって動いていた気がする。
今月も2つイベントを控えている。
でも困ったことに「やる気スイッチ」が入らない。
創作のエネルギー(2016年分)はもう使い果たしてしまった感じ。。。

なやいちチラシ最終



【2016/11/15 】 制作するもの | comments(0) | page top↑
悦子さんのこと
「ママ友」の悦子さんは、ホメオパスだった。まだ日本でホメオパシーがあまり知られていない頃に、勉強して資格を取った。娘のアトピーや中耳炎が、ホメオパシーを始めたきっかけだった。
彼女は乳がんになっても、病院に行って治療を受けることはしなかった。
ホメオパシーのレメディーを摂ったり、食べるものや生活や思考のしかたに注意して、自身のがんと向き合っていた。



そのうち、がんは皮膚を破って汁が出始めた。彼女は患部の写真を毎日撮り、「おしめ(さらしの布)」を胸に当てて出続ける汁に対処していた。洗濯がタイヘンと言っていたけど、症状に対して動じる様子は見られなかった。
会ってお茶しているときは、いつも笑顔で、元気そうだった。
趣味のカメラの他に、古いミシンを出して洋服を作ったり、古着をリメイクしたり、保存食をつくったりして、翻訳の仕事より生活を楽しむことに時間を費やすようになった。

2年前、長野県の美麻に中古の家を買った。
悦子さんは年に数回行って、その古い家を手入れしていた。
この夏、1か月ほど美麻の家でのんびりして「弾むゴムまりのようになって帰ってくる」と出かけていった。けれど、家の修復やら整理やらで、そんなにのんびりはしていなかったよう。
7月末に東京に戻ってきた悦子さんは、とても痩せていた。おまけに歩くのがつらそうだった。美麻でバスを待っているとき側溝に落ちて腰を痛めた、と言った。



けれど腰痛はちっともよくならなかった。
9月に入ると介護申請をして、介護ベッドを入れ、ほとんどをベットで過ごすようになった。
わたしが彼女のアパートを訪ねたとき、訪問医の先生に「余命1か月と言われた」と、ベッドの上でさらりと言った。食べたいものがいろいろあった。
10月半ば、緩和ケア病棟に入院した。

10月末、お見舞いに行ったとき、悦子さんは「早く死にたいからハンストしてるの」と言った。またひと回り小さくなっていた。そのことを伝えると「いい兆候」と笑った。「せいこさんと話せるのは今日が最後かも」と言われ、わたしもそんな気がした。



3日間食べてないから声に力はなかったけど、悦子さんはよくしゃべった。
すっかり細くなったその手で、わたしの足裏をマッサージしてくれた。
帰り際、病室のトイレを借りて、手を洗っていたら、「トイレの水を流す音や手を洗う水の音を聞くと、いつも羨ましいと思うんだ」と言った。

病室を出るとき「忙しいのにありがとね〜」と言われ、「忙しそうに見える?」って聞き返したかったけど、やめた。
悦子さんがわたしにかけた最後のことば。

悦子さんは翌日ハンストを止めたようだ。
そしてその日の深夜、ひっそりと旅立った。今世を卒業。
聡明なひとだったけれど、飛び級もはなはだしい。



最晩年の悦子さんは、とてもわがままだったそうだ。愚痴もこぼしていたという。それはそれまでの彼女にはないことだった。ずっと我慢してきた自分を一気に解放したのかもしれない。そして、猛スピードで自分の生を全うした。
そういえば最後に会ったとき、ガマンも期待も支えすぎもよくないね、と言っていた。
彼女の生きかたと死にざまから多くのことを学び、課題を与えられた気がする。

*悦子さんが娘に口述筆記をしてもらった最後ブログ→ pinboke6
彼女のブログには、生きる指針となることばがいっぱい詰まっている。
【2016/11/12 】 呼吸するもの | comments(0) | page top↑
postcards to my friend who has a cancer
下書きはせず、あまり考えずに書こうと決めた。
わたし自身の負担にならないように。


つまらない日常のかけら。
とるにたらないこと。
励ましのことばはなし。


よくなるようにと、
祈りながら投函した。


一方的な通信。
落書きのようなもの。



【2016/11/11 】 生活するもの | comments(0) | page top↑
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