美味しんぼ騒動
今回の「美味しんぼ騒動」は、第604回のあと連載がしばらく休止になるため一気に収束した感があるけれど、何だかすっきりしない。
なぜここまでバッシングされたのか。

作者の雁屋哲氏は、入念な取材で知られている。
たまたま目にした「福島の真実」を取り上げた他の号は、棚田を守りながら農業を続けている人たちにエールを送るような内容だった。福島の伝統食も丁寧に描かれていた。
きちんと取材をして、署名原稿として発表しているのだし、作中のセリフは取材者の意見、ひとつの事実として読めばいいだけのこと。真実は球体(いま思いついた言葉!)なのだから、見えない部分もあり、日が当たる部分があれば影になる部分もある。じっさい震災直後に鼻血を出した子どもが多くいたという報道はあったし、福島から脱出した人が大勢いたのも事実。

今回の報道で、鼻血を出した人への取材も、福島から他県へ移住した人へのインタビューも目にしなかった。むしろ、マスメディアはそういったことを発言にくい雰囲気をつくっていた。
「風評被害」と非難し、マイナスイメージを払拭するために真実を隠蔽したり、表現に圧力をかけようとする社会こそ問題である。

でも、もしわたしが福島県民だったら・・・と思うと、心中は複雑だ。
この漫画に反感を抱いていたかもしれない。うん、たぶん怒っている。「危険だから逃げなさい」と言われても、それができない状況だったらなおさらだ。一個人の見方として、冷静に受け止めることはできないだろう、たぶん。

「福島の真実」最終号では、こんなシーンも描かれている。
事故後、北海道に移住して酪農に挑んでいる若者が言う。
「事件後、メディアが飯舘村に来て、危険だから逃げろと言ったがすぐ避難させなかったと報じ、行政も内外から批判を受けて、一人一人が自由に話せない環境になってしまった。
人の命、子どもの命を守ることは絶対的な正義なんですが、動けない人にはそれぞれ理由がある」
・・・そして、海原雄山と山岡士郎の会話。
「放射能に対する認識、郷土愛、経済的な問題など、千差万別の事情で福島を離れられない人も大勢いる。
今の福島に住み続けて良いのか、われわれは外部の人間だが、自分たちの意見を言わねばなるまい」
「自分たちの意見を言わないことは、東電と国の無責任な対応で苦しんでいる福島の人たちに嘘をつくことになる」
「偽善は言えない」
「真実を語るしかない」

「福島」とひと括りにしているところはひっかかるけれど、発売後の賛否も予測したうえで、「偽善は言えない」と現地で見聞きしたことを発表した表現者と編集長の勇気を讃えたい。
思いを表現することで、社会に問いかけることは、表現する人の役割、使命だと思う。その表現が、政府の思惑でゆがめられることがあってはいけない。

「美味しんぼ騒動」が影響しているとは思えないけど、大飯原発の運転差し止めの判決が出た。原子力にNOを出した記念すべきできごと。樋口英明裁判長の、ひと重視のことばがよかった。
「原発の運転停止で多額の貿易赤字が出ても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」
※大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文

そして、非公開だった「吉田調書」が、なぜか今になって公開された。
※吉田調書@朝日新聞デジタル

【2014/05/22 】 ※ゲンパツもの | comments(0) | page top↑
グレーの時代
いつからだろうか。ワードローブにグレーのものが多くなった。
たとえばここ数日の装いを振り返ってみると・・・
一昨日は、ライトグレーのパンツにグレーに白のドットのブラウス、首には日よけを兼ねたライトグレーのストール、手には先日作ったグレーの手提げ。
昨日は、別のグレーのパンツにダークグレーの七分袖Tシャツを着て、グレーのエプロンを縫った。
今日は、グレーのプリントパンツに麻のシャツ、グレーの手提げ。
・・・てな感じ。

洋服の色は心の状態を反映するものなのだろうか。
ちょっとググってみたら、「グレーが好きな人は、順応性があり、控えめな人。嫌な上司や部下でもそれなりに対応ができ、人を立てることができる人」、と書かれていた。
また、「相手を立てたいとき、相手を際立たせたいときには有効な色」、なのだとか。さらに、
「グレーの服を選ぶときというのは、少し神経質になって気持ちが不安定なとき。何ごとにも消極的な時期。その反面、自分の意志や欲求を除外して何ごとも受け入れられる忍耐力のある時期」、とあった。

ふむふむ。なるほど。
「順応性があり控えめ」の項は当たってないけど、「気持ちが不安定」というのはあるかも。そして「何ごとも受け入れる忍耐力」は、いまもっとも必要と思えるもの。
こうみてくると、わたしの「グレーの時代」は必然のようでもあり、しばらく続きそうだ。

ところで、昨今話題の「グレーゾーン」。
安倍内閣は、集団的自衛権の行使を前提にした、「グレーゾーン事態」への対処を強引に決めようとしている。この場合の「グレーゾーン」とは平時とも有事ともいえない事態のこと。
自民党のおじさんたちは、起こるかもしれない事態を想定し、なかば脅しの手法で白黒つけようと息巻いている。もはや憲法9条の解釈は、グレーではなく玉虫色。憲法解釈を簡単に変えて、集団的自衛権を容認しようとする姑息さに独裁色を感じるのは、わたしだけだろうか。グレーから暗闇に突っ走りそうな怖さを感じる。

【2014/05/18 】 身につけるもの | comments(0) | page top↑
バルテュス展@東京都美術館
「20世紀最後の巨匠」とピカソが讃えたパルテュス。その画業について、わたしはほとんど知らなかった。予備知識といえば、スイスの村に住み、年の離れた日本人の奥さんがいて、古くて大きな木造建築の屋敷に住んでいたということくらい。

それは唐突で、衝撃的な出会いだった。
乗換駅のホームでぼんやり電車を待っていたとき、展覧会の告知広告に目が吸い寄せられた。大画面の『夢見るテレーズ』。
モデルの少女テレーズは、普段着を着て長いすに腰を下ろしている。目を閉じて、頭上で手を組み、スカートがめくれ上がってパンツが見えているのに、気にするようすも恥じらうようすもなく、片膝を立てている。無防備とも挑発的ともとれるエロチックで危ういポーズ。
このポーズ、この表情、この構図、この色遣い・・・この画家の他の作品を見てみたいと思った。



バルテュスにとって、少女は「この上なく完璧な美の象徴」だったという。
彼の作品には、扇情的で危うげな少女が数多く登場する。ゆえにスキャンダラスな作家と評されたりもし、好みは分かれるところだろう。

彼はどの流派にも属さず、独学で独自の美の世界を築き上げた。
最初に製作した素描絵本『ミツ』は、一見、版画のようにも見える。モノクロの大胆な線と陰影。これを11歳のときに描いたというのだから、「巨匠」はすでに子どものころから約束されていたような気がする。
いろいろな見方があると思うけれど、バルテュス作品の魅力は、全体に漂う非現実的な浮遊感、記号のようにも見える図式化された表現、どこを見て何を考えているのかさっぱりわからない人物の表情にあるのではないかしら。

会場内には、スイス・ロシニエールにある彼のアトリエも再現されている。
制作の現場を想像しながら、バルテュス作品の完璧な構図と色調は、同じトーンの光線を強く意識して北側に大きな窓を設けるようなこだわりを持つ作家の美意識が生み出したのだと感じた。


センセーショナルな絵と「少女趣味」で名を知られた作家は、自由奔放に生きていたようにも見えるけれど、じっさいは死ぬまで独自の画風を追求し続けた孤高の職人だったのかもしれない。



絵を描くことは祈りのひとつ、神に行きつくひとつの道だと確信しています。
  ---- by Balthus

【2014/05/11 】 鑑賞するもの | comments(0) | page top↑
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