「待つ」ということ  【その1】
子育てで大事なことは「待つ」こと。自身の子育てを振り返ると、「待つ」ことが十分にできていなかったと、今ごろ反省している。が、時すでに遅し…。
相手が動き出すまで、じっと待つということは、簡単なようでなかなか難しい。親からみれば時間がかかりすぎてイライラしたり、心配になることでも、それぞれに「理想的時間」が存在するのだからしかたない。
そんなことを21歳の息子1から教えられた。
以下、「待つ」ということについて、彼の見解。

ふつう「待つ」と言ったとき、「何を」待っているかがはっきりしている。
例えば電車を待っているとか、人を待っているとか。
しかし、それらすべての「待つ」という行為は、自分中心の考え方に基づいているように思う。はじめに自分にとっての「理想状態」がはっきり決まっていて、その状態に近づくために時間を費やす行為が「待つ」ということだ。
重要なのは、このときの「待つ」が目的達成の手段のような位置づけにあるということ。

これに対して、別のかたちの「待つ」もあり得るのではないか。
『人事を尽くして天命を待つ』という言葉があるが、このとき待っている人は、一体自分が何を待っているのかがはっきりわかっていない。待った結果、自分がどのような状態に置かれるのかを具体的にイメージできないのだ。
この場合の「待つ」は、自分中心の考え方に基づいた「待つ」に対して、中心が自分の外にあるような考え方に基づいている。
このことは、「待つ」ことそれ自体が目的になりえるということを示している。

このような「中心が自分の外にある」という捉え方は、ハイデッガーの、「物にはそれ特有の時間がある」という『理想的時間』 の考え方とつながるように思う。

ハイデッガーは、駅舎に存在する特有の時間が、駅舎にとっての理想的時間で列車の発車時刻だといったけれど、大切なのは、「理想的」であるということを、駅舎の時間と自分の時間の適合として考えることではないか。
つまり、時間の概念を自分の中で完結させるのではなく、無数の物に時間が存在し、それらの時間を自分はコントロールできないことを認めたうえで生きるべきだと思うのだ。
ハイデッガーの「理想的時間」の考え方が面白いのは、そういった時間が無数にある世界をイメージさせてくれるからだ(ここでは、ハイデッガーの「理想的時間」の正しい解釈にはあまり執着しない)。

何が「理想状態」であるかを知らずに、それでも「待つ」ということが、とても大切なことのように思う。
ふだん人は生きて行くなかで、何かを待っていると意識していなくても、何かを待っている・・・そういうことがあると思う。
物事の「理想的時間」を意識して、自分を整えること。
それが「待つ」ということではないか。


ooiribukuro
19歳の息子2は、今朝「青春18切符」で山口へ旅立ちました。みなさま。よいお年を!
【2013/12/30 】 呼吸するもの | comments(0) | page top↑
Merry Christmas !
クリスマスツリーも、クリスマスリースも、アドヴェントカレンダーも、サンタの人形も、エルツのロウソク立ても飾らず・・・チキンの丸焼きはオーブンが不調で失敗に終わり、ケーキ台を半分に切って盛りつけたクリスマスケーキの見ばえもイマイチ・・・
何だかとっても冴えなかった今年のクリスマス。
来年はもうすこしゆとりを持って楽しみたいわ!

merry  christmas



【2013/12/25 】 生活するもの | comments(0) | page top↑
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