受け継がれるおもちゃ
brickこの積み木は、20年前、長男が生まれたとき、大阪に住む友人が送ってくれた。彼女の息子たちが遊んだものだ。
職人の丁寧な仕事ぶりが伝わるしっかりしたつくりで、手ざわりもとてもよかったから、彼女の息子に子どもができたら、そのときはこの積み木を返そうと思っていた。


結婚してから大学に入ったTさんは、大学4年の春、ほとんど誰にも気づかれずに長男を出産した。私にとっては、身近な赤ちゃん第一号だった。

その赤ちゃんも父親になり、彼の息子ソウヤくん(=友人の初孫)が先日2歳の誕生日を迎えたと聞いて、今日、件の積み木をソウヤくん宛てに送った。
なくなった部品もあるし、手垢でやや薄汚れているけど、2家族の歴史が刻まれているのだ。ピカピカの新品にはない味わいがある(と、思う)。

20年間あたためてきた思いを実行できて私はスッキリしたけれど、自己満足の押しつけのような気もするし、若い夫婦はどう思うのかな?
ソウヤくんのあとも、ぐるぐる使い回して受け継がれるといいなぁ。
【2012/10/20 】 受け継ぐもの | comments(0) | page top↑
文化の日の「平和な時間」
ん十年ぶりに郷里で文化の日を過ごした。

「晴れの特異日」の11月3日は、今年も気持ちのよい秋晴れ。入院中の母の体調も少しよくなったので、んん十年ぶりに「きつねの嫁入り」を見に行った。
この祭りは、地元で60年も続いている文化の日の一大イベント。狐の面をつけた新郎新婦役が人力車に引かれ、この日のために設営された結婚式会場に向かう。新郎新婦に続いて親族役の狐、キツネメイクを施した小狐たち、さらに花神子や各地区の神興、一般参加者たちがぞろぞろと行列をなし、旧山陽道を練り歩く。沿道は白狐の晴れ舞台を一目見ようと集まった見物人でごった返し、ふだんはひっそりした通りがこの日だけは大にぎわい。

のどかな地方の伝統行事に、平和の国ニッポンを見る思いがする。
でもでも、そんなにのんびりと平和な時間に浸っているわけにはいかないのだ。餅まき会場に急がねば!
私たちは三三九度などは見ず、餅拾いに備えて花岡駅前で待機。餅まき車が所定の位置に留まると、子どもも大人もそわそわし始め、何だか緊迫した空気に。それぞれ大きな袋を手に、こっそり闘志を燃やしている。

いざ、餅まき開始! 子ども以上に、大人が必死になっている。子どもに譲ろうという気は、さらさらない。餅が飛んでこないと怒声が飛ぶ。落ちた餅を拾おうとしゃがんだままでいるおばちゃんは罵声を浴びせられる。結局、私の収穫は、餅3袋と飴ひとつ。。。軽トラから降ってくる小さな餅に、老いも若きも大興奮。これもまた平和の国ニッポンの、平和な時間。

そもそも11月3日は現憲法が公布された日で、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ために制定された祝日。はじめて「正しい文化の日の過ごし方」を実践した気分になった。

キツネの嫁入り※新郎新婦役には独身の男女が公募で選ばれるが、誰が演じたかはヒミツ。新婦役を演じた女性は良縁に恵まれるとか。
【2010/11/10 】 受け継ぐもの | comments(0) | page top↑
手考足思 → 手考足迷
初ブログは、二人の大作家に敬意を表し、タイトルに込めた思いから。
「手考足思」。私がこの言葉に出会ったのは、この春訪れた「河井寛次郎記念館」で。彼の創作の源を垣間見たような気がして、どきりとした。
河井寛次郎は「近代陶芸の巨匠」とも称されるが、陶芸にとどまらない幅広い創作活動を眺めると「表現者」という言葉の方がぴったりくる。

「表現者・河井寛次郎」という展覧会タイトルに惹かれて、初めて彼の作品を見たのは5、6年前のこと。何より驚いたのは、60歳を過ぎて取り組んだ陶芸や木彫などの作品が、のびのびとして力強さを放っていたことだ。晩年になるにつれて、より自由奔放な「ものつくり」に挑む「表現者」にすっかり魅了されてしまった。

「手考足思」、いい言葉だな~と思っていたら、同郷(山口県出身)の作家・宇野千代も「頭で考えるだけのことは、何にもしないのと同じことである。私たちは頭で考えるのではなく、手で考えるのである。手を動かすことによって、考えるのである」と書いていて、またどきりとした。
私などお二人の足もとにも及ばないけれど、「手で考える」ことを肝に銘じ、そしていつもフラフラ迷ってばかりのわが身を振り返り、「手考足迷」をブログのタイトルに。

ちなみに河井寛次郎には「手読足解」や「手驚足喜」という作品もある。頭脳明晰で、文章家としての顔ももつ寛次郎。記念館では、「すべてのものは自分の表現」「物買って来る 自分買って来る」「楽在其中」といった言葉も印象に残った。
【2010/08/27 】 受け継ぐもの | comments(0) | page top↑
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