ときをためる暮らし
断捨離がブームになったころから、漠然と暮らしを変えたいと思っていたけど、最近その思いが強くなっている。

90歳の津端修一さんと87歳の英子さん夫妻の半自給自足的な暮らしを追ったドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を観たことで、はずみがついた。



ふたりの住まいは、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンにある。ご主人は、戦後最大の都市計画ともいわれたこのニュータウンの基本設計に携わったエリート建築家。当初のプランは自然の地形や風の流れを生かした設計だったけど、効率化や低予算が求められる経済優先の社会で、理想どおりにはいかなかった。

それでも夫妻は、このニュータウンに300坪の土地を買い、苗木を植え、修一氏が師と仰ぐ建築家・アントニン・レーモンドの自宅を模した30畳のワンルームの平屋を建てて、野菜を育てながら半自給自足的な生活を送っている。

そこで営まれているのは、手間をおしまずからだを動かし、手と頭を使い、ゆるやかに人とつながりながら、感謝とユーモアにあふれた日々。家のあちこちにみられる手作りのサインボードが、自分たちの暮らしを丸ごと楽しんでいることをうかがわせる。
妻の英子さんは、芸術家肌のご主人を全面的にサポートしながら、それでいて自分の主張もやんわり貫くという、絶妙な寄り添い方を実践している。ふたりのやりとりがとてもほほえましい。時間に追われるのではなく、丁寧にこつこつ、ときをためていく暮らし。

知人に宛てた絵日記のようなハガキや、かつての部下を訪ねた台湾への旅などからも、謙虚で人との関係を大事にする修一氏の人生哲学のようなものが感じられた。最後の仕事となった伊万里市の精神病院の設計に際しては、設計料も謝礼もいらないときっぱり。しかし建物の完成を見ることなく、ドキュメンタリー途中で、夫は亡くなる。庭仕事のあと、お昼寝をして、起きてこなかった。人生の幕引きまで思いのままにしたような最期だった。

「家は暮らしの宝石箱でなくてはならない」by ル・コルビュジエ
「長く生きるほど人生はより美しくなる」by フランク・ロイド・ライト
「芸術におけるすべての答えは自然の中にある」by アントニオ・ガウディ

映画のなかで引用された、著名な建築家のことばも心に残った。
暮らしは、とどのつまり生き方であり、自分自身でもある。
自分が変わらないと、暮らしも変わらない。





↑15年前、スイスのレマン湖のほとりにある「Villa le Lac」を訪ねたときの記録。コルビュジエが両親のために建てた家。父親がすぐに亡くなったため、母親がひとりで住んでいた。最小限の実用性を備え、広さは60㎡。映画をみたあと、この家が思い出され、アルバムを取り出し、コルビュジエの著書『小さな家』を読み直した。
【2017/07/22 】 鑑賞するもの | comments(0) | page top↑
「あの頃」
あの頃、絵の学校に通っていた。
そこは自由でクリエイティブな空気に包まれていた。
夜間コースだったので生徒のほとんどはわたしより年上の社会人だった。田舎育ちのハタチの学生は、そこにいるだけで芸術家の卵の仲間入りをした気分になり、うれしかった。

カフェオレという飲みものを知ったのも、その学校で。
休憩時間になると、ラウンジでコーヒーとカフェオレを飲むことができた。そこで挽いた豆でコーヒーを淹れ、鍋で沸かしたミルクを注ぎ、白い陶器のカップで供された。コーヒーもカフェオレも100円。缶コーヒーを飲むような下品な行為をしてはいけない、というセツ先生の美学だった。

セツ・モードセミナーでは教えるということはしなかった。生徒が校長と一緒にデッサンや水彩を描く。長沢節の細い指から生まれる踊るような線や色づかい、筆運びを真似しながら、それぞれが絵のセンスを身につけていった。

setsu展セツで知り合った夫と、閉幕間近の長沢節展へ行ってきた。
長沢節の作品は鎖骨や手首、膝やくるぶしの美しさが際立ち、細いのに力がある。ああこの線、懐かしい! そうそう、「骨フェチ」のセツ先生が選ぶモデルは、みんなガリガリだった。
セツ先生はいつもササッと素早く描いているように見えたけど、制作中のビデオを見ると丁寧に鉛筆を走らせ、消しゴムも使っていたことがわかり意外だった。

わたしは真面目な生徒ではなかったが、セツに行ったことが今につながっている。少し絵が描けたので、就職先の小さな出版社ですぐにイラストの仕事をさせてもらった。セツ出身の夫と、なぜか家庭を持つことになった。

セツに行ったことは私の人生でもっともよい選択だったと思う。貧乏学生だったわたしがセツに行けたのは、奨学金がまとまっておりたからだった。親にも相談せず、たいして迷うこともなく、入学を決めた。

人生にはちょっとした行動や決断が将来を大きく左右することがあるんだなあ…と思う。それは将来から「あの頃」を見ないと気づかないことだけど。
【2017/06/19 】 鑑賞するもの | comments(0) | page top↑
草間彌生 わが永遠の魂
「かぼちゃ」も「水玉」も好きではなかったけれど、久しぶりに会ったデザイナーの友人が「すごくよかった。元気をもらえた!」と絶賛していたので、国立新美術館で開催中の草間彌生展へ行くことにした。
連休の先週末はチケット売り場が3時間待ちだったとか。ある程度の混雑は覚悟していたが、平日の午後だったせいか、運良く10分ほどでチケットを買うことができた。

わが永遠の魂
入場してすぐのホールの壁面三方を埋め尽くす絵画連作「わが永遠の魂」に、いきなり圧倒された。何かに挑むような強烈なタッチで描かれたS20号(194×194cm)のアクリル画の数々。草間彌生が2009年から取り組んでいる大作で、500点を超える連作から132点が選ばれた。
抽象的な表現に具象的なモチーフが混在し、どの作品にも生命力があふれている。とくに目を記号化したようなモチーフで埋め尽くされた作品は、幼いときから幻聴や幻覚に悩まされ続けた作家が抱える強迫観念を想像させた。

草間彌生は3日前に88歳を迎えていた。長年、都内の精神科の病院を住まいにして、向かいのアトリエで終日絵を描く生活をしているというウワサだ。

この創作エネルギーはどこから湧いてくるのだろう。
「一般的な」感覚とは異なる感性を有していために、生きづらい思いや辛い体験をしたことが作品から察せられる。絵を描くことは、彼女にとって「闘い」であり「救い」だった。創作によって彼女は生かされ、世界が認める「巨匠」になった。


「死にものぐるい」で創作活動を続ける彼女の生きざまは、好きとか嫌いとか嗜好の範疇を超えて、観るものに希望とパワーを与える。
ゲイジュツの凄さを見せつけられた。
【2017/03/24 】 鑑賞するもの | comments(0) | page top↑
| home | → older posts