梅雨が明けて急に猛暑になり、少々へたばっていたから、今日の雨はありがたい。涼しくて気持ちがゆるみ、うとうと昼寝をしてしまった。
出版社で働いていたころ、当時一橋大の社会学部教授だった阿部謹也先生のご自宅に、原稿を受け取りに行ったことがある。学究肌の先生は一見むつかしそうに見えたけど、山が好きで、人情味のある方だった。
先生の書斎におじゃましたとき、どういう経緯だったか、ドイツで求めたというドイツ語のレコードを聴かせてもらった。北海沿岸のフリースラント地方の方言で歌われた曲で、わたしが知っているドイツ語とはまるで違う言語だった。若かったわたしは、いつか行ってみたいな〜と思ったものだ。
先生の手書き原稿は判読が難解で、そのままでは印刷所に回せなかったので、ときどき奥様が清書されたり、わたしが書き写したりしていた。
あるとき帰り際に雨が降り出し、傘を持っていなかったわたしに先生がピシャリとおっしゃった。
「梅雨どきは、雨が降っていなくても傘を持って出かけるものです」
そのころの梅雨は、1日中雨がしとしと降ったり止んだりで、天気予報も当てにならなかった。梅雨どきに傘は欠かせなかったのだ。

日本の梅雨も様変わりし、しとしと雨からゲリラ豪雨に。何だか風情がなくなったな〜と思う。
ふた昔前の梅雨の思い出。
阿部謹也先生は、6年前に鬼籍に入られた。